第136回 促音


 英語の -er, -or という語尾を持つ単語の片仮名表記は、音引きするかしないか、という議論がある。要するに、「コンピュータ」か、「コンピューター」か、というものだ。まことしやかに言われていることに、理系の人間は音引きせず、文系の人間は音引きする、というのがある。JISだったか何だかの標準的な表記が、音引きをしないということらしいので、あながちこれは間違いでもなさそうだが、結局は個人の感性に依存するべきものだろう。
 たまに、理系の人間で音引きしない表記に執拗なまでにこだわる人間がいるが、それでは「コーヒー」のことを「コーヒ」と書かねばならず、大阪のおばちゃんになってしまう。「ま、ちょっと上がってコーヒでも、飲んでいき。な、コーヒ」
 また逆に -er 語尾を持ちながら、ほとんど音引き表記されないものに、「スリッパ」がある。音引きすると「スリッパー」である。こころもち悲しい。案外、田舎の公会堂などに行くと「スリッパーに履きかえてください」という貼り紙がありそうだ。
 ところで音引きと並んで表記上問題になるのが促音である。私は発見したのだが、促音は情けない。促音には脱力感がある。もちろん、異論はあろう。促音が入っているのに猛々しい言葉もあるではないか、と仰有るのだろう。
 たとえば「ガッツ」はどうだ、とあなたは言うに違いない。ガッツだ。力強いじゃないか、ええ、どうなんだ、とあなたは詰め寄るだろう。では、少し考えていただきたい。普通の人はなかなかガッツという言葉を口にしないのではないか。私はここ十年くらいふり返っても、カラオケでウルフルズを歌ったとき以外、ガッツという言葉を使った記憶がない。日頃ガッツという言葉を使用するのはどんな職業の人だろうかと考えると、体育教師に思い当たるが、「おらおらー。ガッツだー。ガッツで頑張ろー」などと多用する体育教師に限って年中ジャージで過ごし、頭には寝癖がついているに決まっているのだ。ガッツという前にその寝癖を直せよ、と溜め息をつきたくなるではないか。情けない。
 さて、あなたの反論を喝破したところで、話を続ける。
 喜劇王チャップリンという人がいた。ロック・スターにジャニス・ジョプリンという人がいた。この両者の姓はかなり似ている。似てはいるが、片や促音あり、片や促音抜きで表記される。もしジャニス・ジョプリンが「ジャニス・ジョップリン」と詰る表記であったらあれほどの大スターになっていたかどうか疑わしい気もする。
 チャップリンは喜劇役者であるから、促音入りで構わないのだ。だが、ロックの人に、それは駄目であろう。
 そういえば、以前、知人と話していたときのこと、
「ああ。ひどく頭が痛い」私と話していたせいはないとは思うが、知人はそう言った。
「大丈夫か」
「うん。ちょうどバッファリン持っているから、これを服用する」
「ちょっと待て。今何と言った」
「何のことだ」
「薬の名前を何と発声した」
「バッファリン」
「それはおかしい。バファリンではないか」
「何を言う。バッファリンだ。バッファリン」
「バファリンだと思うが」
 促音が入るだけで、何とも情けない響きになってしまうのであった。頭痛が重くなりそうにすら感じる。嘘だと思うなら声に出してみるがよい。バッファリン。バッファリンという前にその寝癖を直せ。
 何故こんな話をしているかというと、実は先日とある居酒屋に行ったのであるが、そこの品書きにこういうものがあったのだ。
「スペッシャル料理あります。1200円」
 スペッシャルである。ちょっと凄いことになっている。
 確かに、同じような言葉であるところの「デラックス」は促音が入っている。「デラクス」では今ひとつ豪華な感じが出ないだろう。アマゾンの怪魚の名前のようである。
 だからといってスペッシャルというのは、どうかしているのではないか。注文しようかと思ったが、成り行きを想像してやめた。きっとこういう会話になるのに決まっているからだ。
「あのう。すみません」
「はいはい」
「これ、……ください」
「え。どれ。どれですか」
「これです」
「これじゃわかりません」
「スペッシャル料理です」
「あ。はいはい。スペッシャル料理ですね」
 そしてきっと奥の調理場に向って店員は叫ぶのだ。「スペッシャル料理一丁」
 ことによると調理場から返事が帰ってきかねない。「はいよ。スペッシャル料理一丁」
 これは避けたい。スペッシャルなどという情けない音節を発音することすら憚られるのに、それを何度も復唱されたりしたら、立ち直るのに三日はかかりそうだ。
 だがやはり、どんな料理なのか大変気になるところである。今度行ったら恥ずかしさを堪えて注文してみようと思う。さぞかしスペッシャルなのだろう。つまらない品物のわけがない。
 なにしろスペッシャルだ。促音だけに、つまってます。こんな大喜利めいた落ちでいいと思うな、私よ。


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1998/07/15
文責:keith中村
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