第133回 西瓜割り補遺


 前回、西瓜割りというものを実際にしたことがなければ、やっている風景を見たこともない、という主旨の文章を書いたのだが思わぬ反響があった。私は西瓜割りをしたぞ、という人がぞろぞろと名乗りをあげてきたのである。しかも、彼らは「西瓜割りなんていう普遍的な遊びをしたことがない筈がなかろう。どうしてそんなに意味のない嘘を書くのか」、「西瓜割りをしたことがないとは、余程の貧乏人ではないのか」などと口々に異を唱えているのであった。これはちょっとどうしたことであろうか。一匹見掛けたら百匹はいると思え、という言葉がヨブ記にあったが、この分では相当な数の人が西瓜割り経験者であろう。私の認識が間違っていたのだろうか。しかし西瓜割りというのは、本当にそんなにポピュラーなものなのであろうか。本格的に調査しなければならない問題かも知れない。となれば明智探偵や小林少年に依頼するべきであろう。ポピュラーは少年探偵団、という言葉が民数記にあるくらいだ。
 だが、改めて考えてみるに、西瓜割りというのは常軌を逸しているのではないか。なんだ、あの恰好は。海水パンツ姿であることがそもそも一種異様であるのに、棒を持って振り回したりするのだ。男性ばかりでなく女子の人であっても同じだ。ビキニなどという半ば下着めいたもののみを着用し、それに飽き足らず目隠しなどするのだ。下着姿で目隠しである。一体どういうことだ。何だかいいじゃないか。
 恐らく、西瓜割りをする人びとは、そこが海水浴場であるという甘えからああいった恰好をして、えへらえへらと喜んでいられるのだろう。子供のころ、蟻さんの行列から一匹をつまみ出して遠くへ運び、そこで狼狽する蟻さんを見て楽しんだことがある人もいようが、たとえばあなたが砂浜で西瓜割りをしているとき、空から大きな手が降りてきて、ひょいとあなたを摘まみ上げ、上野動物園あたりへ運び去ったとしたら。大洗海水浴場から上野動物園へワープだ。しかもあなたは目隠しをしているからそれに気づかない。「えへへ、どっちだー」などとかなりどうかしていることを呟きながら、パンダの檻の隣あたりへ棒を降りおろす。がきっ。「ん。がきっ、て何の音だ」と目隠しを取り去ったあなたの驚愕を想像すると私までが戦慄を覚える。あなたの眼の前に西瓜はなく、そこにはただパンダが笹にかじりついているだけだったりするのだ。ちょっと想像の限界を超えている。トントンとリンリン。なにしろ笹が主食だ。
 或いは、白昼のオフィス街に突如現われた西瓜割り男、というものも私には相当恐ろしい。
 昔、オフィス街に鬼が現われ、人びとが金棒で殴り殺されてゆく、という小説があったが、鬼どころではないのだ。何しろこっちは西瓜割り男なのだから。
「こっちカナー」よろよろ。「それとも、こっちカナー」ふらふら。西瓜割り男はそう言いながらあたり構わず棒を振り回すのだ。「ここカナー」タイムカードのレコーダーが毀れる。「これカナー」パソコンのCRTが火を噴く。
 雪山はどうだろう。スキーに行っているのだ。リフトで山頂まで登ってゆくあなた。ふと乗降口を見ると、いるのだ。奴だ。西瓜割り男だ。「こっちカナー」リフトはどんどんそちらに近づいてゆく。どうすることもできないではないか。「やっぱ、こっちダナー」ふらふら。
 モーゼがイスラエルひとを率いて道を急いでいる。背後にはエジプト兵。紅海が行く手を阻んでいる。モーゼが杖を振り上げる。強い東風。海水がふたつに分かれ、道ができる。
「さあ、皆のもの、今のうちにこの海を渡るのじゃー。えくそだすー」イスラエルひとに叫ぶモーゼ。と、今や道となった海の彼方から何者かが歩いてくる。「こっちカナー」よろよろ。恐るべし。西瓜割り男は時空をも超越するのであった。モーゼ。笹が主食だ。
「風誘ふ花よりもなほ我はまた」刃傷沙汰をおこした浅野内匠頭長矩が辞世の歌を詠んでいる。
「では、浅野殿。古式に則り存分に腹かっさばいて戴くでござるよ」
「了解つかまつったでござる。ところで、介錯はどなたでござろう」
「本日、介錯してさぶらうのはこの方でござる」
「ここカナーでござる」ふらふら。「ちがうカナーでござる」よろよろ。
 とうとう浅野内匠頭の介錯人まで引き受けてしまう西瓜割り男なのであった。
 瞠目せよ。浅野長矩。塩が主食だ。
 そして――。
「ねえねえ、おじいちゃん。平成ってどんな時代だったの」
 二十一世紀になってしばらくしてから生まれたあなたは、平成という時代を知らない。おじいちゃんから昔話をしてもらうのが大好きだ。
「うーん。そうじゃのう。昔はいろんなことがあったもんじゃ」
 おじいちゃんは可愛い初孫のあなたと話ができるのが嬉しくて仕方がないといった様子で皺くちゃの顔を更に皺だらけにしていろんなことを教えてくれる。
「そういえば、今日はテレビで『懐かしの二十世紀』という特集があるじゃろう」そういって、おじいちゃんはテレビのスイッチを入れる。
 立体スクリーンに馴れたあなたにはかつての二次元映像が古臭くて新鮮だ。
「ねえねえ。おじいちゃん。どうしてみんなで壁を壊してるの」
「あれはじゃな、ベルリンの壁と言ってのう」おじいちゃんは何でも知っている。
 あなたの眼が画面の端に妙なものを捉える。ハンマーで壁を壊す人びとのなかに、なぜか裸に近い恰好で目隠しをして棒を振り回している男がいるのだ。
「お、おじいちゃん。あれ、なあに」
「おお、あれか。あれは怪奇西瓜割り男じゃ」
 謂れのない不安に包まれたあなたは、それでもなおも訊く。
「か、怪奇西瓜割り男ってなあに」
「それは」おじいちゃんの目付きが急に鋭くなる。「それは、わしじゃ」
 おじいちゃんは突然立ちあがり、羽織っていたガウンを脱ぎ捨てる。「わしなのじゃー」下は海水パンツ一丁である。いつのまにか目隠しをして、棒を持っている。
「きゃあー」
「こっちカナー」
「いやー」
「それともこっちカナー」
「いやんいやーん」
 西瓜割り男。主食は笹だ。


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1998/07/10
文責:keith中村
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