第132回 西瓜割りとは


 梅雨が開けたか開けぬのか知らぬが、尋常ではなく暑い。暑いときは、キンキンに冷房の効いた屋内でだらだら過すに如くはない。そんな訳で、ここんとこ、昼休みに食事を摂ったあと喫茶店でぼんやりするときが、私の至福の時間となっている。
 本日も、食事のあとコーヒーショップに立ち寄った。今どき百八十円という怒涛の安さでコーヒーを飲ませる全国チェーンの店である。入り口の自動扉が開きっぱなしであったことにやや違和感を覚えながら店に入った。違和感のもとに気づく前に店員に注文を取られてしまった。レジで支払ってから席に座るセルフ・サービスの店なのである。
 おかしい。夏の暑い盛りに喫茶店に入った瞬間のあの清涼感に著しく欠けるのである。この違和感はなんだ。
 暑いのである。なんというか、屋外よりもまだ暑いのである。ふとレジの脇を見た私は一枚の貼り紙に気づいた。
「冷房装置故障のため、お客様にたいへんな迷惑をかけております」
 何ということか。冷房が故障しておるのだ。私がひとときのオアシス、正確に発音すればオゥエィシスを求めて辿りついた場所は、灼熱地獄であったのだ。これじゃ美人局ではないか。
 しかも、あろうことか私という人間は酔狂にもホット・コーヒーなどというものを注文してしまっているのだ。全く、都会ではぼんやりと暮らしていると思わぬ陥穽に陥ることがある。呆然とする私の前にコーヒーカップが出され、私はそれを持って席についた。まじまじとコーヒーを見つめる。しかしいくら見つめてもそれが不意に「ぽわわーん」と煙をあげてアイスコーヒーに生まれ変わろう筈もない。この暑さのためかがらがらの店内にそれでもぽつりぽつりと点在する客の前に置かれたいかにも涼しげなグラスを私は怨めしい目付きで睨みながら思った。これではまるで、我慢大会ではないか。
 さて、我慢大会というと、夏の風物詩である。夏の暑い盛りに炬燵に入って鍋をつつく。我慢大会というのはそういうものだ。しかしよくよく考えてみれば私はこの我慢大会というものを自らやったことがない。あなたはどうですか。
 我慢大会とはかくかくのもので、という知識はあるが実践が伴っていない。では、この知識はいったいどこで得たものなのであろうか。おそらく漫画とテレビであろう。恐ろしいことである。実物を見たことがないにも拘らず、私は「我慢大会とは夏に炬燵で鍋をつつくもの」という情報を刷り込まれているのだ。もしかしたら、漫画やテレビの我慢大会は、偽物であり、ほんとうの我慢大会とは大きくかけ離れたものなのかもしれない。
 もしかしたら、ほんとうの我慢大会というのは鼻の穴に小豆が何粒入るかを競うものであるかもしれないのだ。これは我慢が要る。あるいは、ほんとうの我慢大会というのはめりめりとお互いの生爪を剥がし合って、どちらが先に音を上げるかを争うものなのかもしれないのだ。これもかなり我慢我慢だ。ほんとうのことは判らない。
 ところで、我慢大会と並ぶ夏の風物詩に「西瓜割り」がある。もちろん私は西瓜割りをしたことがない。あなたどうですか。
 にも拘らずやはり我々は西瓜割りがどういったものであり、どういうルールのもとに進行するものかを知っているのだ。
 目隠しするのである。白い手拭いである。で、ぐるぐる回すのだ。ぐるぐるーと、だ。その上で棒を持つのだ。棒だよ。ちょい右とか、もっと左、などという掛け声も必要だ。ここまで知っているのに、実際にやったことはない。それどころか、海岸でこれを実際にやっている風景すら見たことがないのだ。
 そもそも西瓜割りの起源は何だ。いつ頃からあるものか。どこの国で発祥したものか。そのあたりのことがちっとも判然としない。ぼんやりと推測するに、やはり日本で発祥したものではなかろうか。なんとなれば、西洋では西瓜ことウォーターメロンをそれほど好んで食べない。ものの本によると、ある種のウォーターメロンは家畜の餌や黒人奴隷の食糧であったそうだ。ちょっとかなりな説明である。それに引きかえ日本では西瓜は夏を代表する果物である。野菜か。どっちでもいいが。それに棒で撲るのだ。そこはかとなく武士道を感じさせるではないか。ということで日本発祥であろうと思う。
 しかし、現実に見たことがないということはやはり漫画やテレビの知識なのか。私は願う。西瓜割りを実際に遂行したことがあるひとと友達になりたい、と。自慢できるではないか。
「あのさあ。俺のツレでさあ、西瓜割りしたことある奴いるんだぜ。すげえだろ。モノホンだぜ」
 恐らく西瓜割りをしたことがある人間は国民の一パーセントにも満たないのではなかろうか。そんな気がする。
 だが、芸能人に限定して調査すれば、おそらくこの割合は四十三パーセントになるだろう。物凄い数字だ。
 さらに、お笑い芸人に限定して調査すれば、「西瓜割りの西瓜になったことがある」率は七十八パーセントにはなるだろう。顔に緑と黒の筋を描いたりするのだ。
 西瓜割りをしたことがある人、お友達になってください。できれば女子の人。
 間違って、破瓜型精神病の人、申し出ないように。あ、喜連瓜破在住の人もいりません。
 そして、私は再び眼前のホット・コーヒーを一瞥する。これだけうだうだ考え事をしたのだから、そろそろ冷めているだろう。ごくり。
 あちち。


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1998/07/08
文責:keith中村
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