第13回 主張


 あたりまえのことをあたりまえにするのが、いちばん難しいことであり、あたりまえのことをあたりまえにできるのが、いちばん立派なことである、などという意見は信用できぬ。あたりまえのことをあたりまえにするくらいあたりまえのことはなく、あたりまえのことをあたりまえのように主張するほど馬鹿げたことはないのではなかろうか。
 街で見かける社用車やトラックなどに「私は法定速度を守ります」などというスティッカーが貼られていることがある。「法定」というのは法律や法令などで規定されているという意味であろうから、これほどあたりまえのことはない。むろん、運転免許を持たぬわたしとて、現実に速度違反というものがこれまたあたりまえのように行われている事実を知らぬわけではないが、だからといって、速度違反をする者が「私は法定速度を守りません」「私は法定速度を守りたくありません」「私は法定速度を守れません」などというスティッカーを貼付した上で速度違反に及ぶわけもなく、建前上は運転者はすべからく法定速度を守るべしということになっているので、「私は法定速度を守ります」というスティッカーは結局何も主張していないことになるのではなかろうか。
「赤ちゃんが乗っています」などというものもある。
 これは「赤ちゃんが乗ってるのでござる。赤ちゃんはお子様の殿様でござる。おらおらおら。気をつけるでござる。追突すべからずにござる。拙者に道を譲るでござる。おらおらでござる」などと主張しているのだろうか。あまり効き目がないようにも思われるし、それゆえやはり何も主張していないも同然である。もっと効き目のある貼り紙は、きっとこんなものになるだろう。
「イスラム原理主義歌謡の巨匠が乗っています」
「常温核融合実験中」
「道を譲ってくれなきゃお父さんにいいつける。お父さんは社長なんだぞ」
「追突しやがったら組長が黙ってへん」
 そういえば、危険物を運んでいる大型トラックには「危」という一文字のプレートがついていたりするが、あれなどはよほど説得力がある。ちなみに私は小学校の頃、愚姉から「あれはアブナい人が運転しているって意味よ」と教えられて以来かなり長期に及んでそれを信じ恐懼していたものだ。じっさいアブナいことを隠している運転手もいるだろうけれど。
 などとつらつら考えていると、あたりまえのことをわざわざ主張するという行為は、実はかなり過激なことなのではないかと思えてきた。車だけでなく、たとえば一人ひとりの人間が、さまざまな主張をスティッカーにしてたとえば額に貼付しているという状況は考えるになかなか素敵だ。

「私の主食はおこめです」
 パン食が普及しているとはいえ、これほどあたりまえのことはないわけで、こんなことを言われると何だ何だ何を主張したいのだ、平仮名書きの「おこめ」には何やらいやらしい意味でもあるのか、などと困惑してしまいそうである。

「私は正常位です、射精時には」
 誰もあなたの嗜好など訊いちゃいないってば。倒置すんなよ。

「私はこれからもトガリネズミを食べません」
 トガリネズミって何だ。

「つのだ☆ひろはつのだじろうの弟です」
 そんなことよりも、なぜじろうさんには☆がないのですか。

「大豆は畑の野菜です」
 それも言うなら「畑のお肉」だろう。いや、でも間違っているわけではないしなあ。

「眼は人間のマナコです」
 仰せのとおりにございます。

「全速力で壁にぶつかるとすごく痛い」
 もしや新手の自殺か。

「公園のお花に餌を与えないでください」
 いちめんのウツボカズラ。いちめんのウツボカズラ。

「ガリレオ・ガリレイはイタリアの吉田義男です」
 やはり子供のころは名前をからかわれたか、ガリレオ、ガリレオ。ふぃがろ。

「私は睡眠中に鼻からざる蕎麦を啜った記憶はありません」
 あんた、記憶がないだけで本当はやってんじゃないだろうな。

「キダ・タ○ーはヅラです」
 ほとんど伏せ字の効用がない。

 そういえばWindows95は、マウスを接続しないで起動すると、
「マウスが接続されていません」
というダイアログがOKボタンとともに表示される。どうやってボタンをクリックしろというのだ。


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1997/11/04
文責:keith中村
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