第128回 てにをは


 我々が使用しているこの日本語ほど素性の知れぬ言語はないのだそうだ。言語学では語族という概念があり、たとえばインド・ヨーロッパ語族だとか、セム語族だとか、ウラル語族だとか、タケノ語族、逆噴射語族、まあいろいろあるようなのだが、日本語がそのいずれに属するのかは判っていないという。
 日本語は膠着語と言われ、助詞によって言葉をつないでゆく仕組みを有しているが、これはアルタイ語族の特色らしく、しかしかといって日本語がアルタイ語族だという確証もないらしい。大野晋さんはタミル語が先祖だと主張しており、このタミル語はドラビダ語族というのが祖語であるのだそうだが、なにぶん私には専門外の話なのでよくわからない。ドラビダ語族というのがそもそも何なのかもちっとも判らないのだが、山下洋補に関係ありと私は睨んでいる。
 とにかく、屈折語や孤立語と呼ばれる言語を話す民族にとって日本語が学習しにくいのは事実のようで、じっさい日本語というのはちょっと間違えただけでとんでもないことになってしまう。
 さて、ここにサミュエルという青年がいたとしよう。テキサス出身二十五歳のフランクな若者である。サムは最近少しだけ日本語が話せるようになってきた。しかしまだまだ「てにをは」がおかしい。
 サムは絵を描くのがとても上手であり、出会った人の似顔絵をその場で描いてプレゼントし、相手を喜ばせてあげるなどとサービス精神旺盛な人間なのであるが、たとえばサムを女性に会わせたとしようではないか。
「オー。あなたは私が日本で出会ったなかでもっとも美しい女性です。あなたに似顔絵を描きます」
 そう言いたかった筈のサムなのであるが、実際には間違えてしまうのである。
「オー。あなたは私が日本で出会ったなかでもっとも美しい女性です。あなたの似顔絵でかきます」
 こらこら、何を掻くつもりだ、という話になってしまうのであった。
 サムは親切な人間なので、たとえば道行くおばあさんから茶髪の日本人青年と間違われて道を訊かれても、精一杯の努力で期待に応えようとするのである。
「ウェル。その道を右に曲ってください」
 そう言うべきなのだ。しかし、口から出るのは、
「ウェル。その道を右に曲げてください」
 おばあちゃんの力でそれは無理だろう、と私は溜め息をつく。
「もう眠くなりました。そろそろベッドに行きます」
 go to bed を直訳しているのだろうが、
「もう眠くなりました。そろそろベッドで行きます」
になってしまうのである。
 そんな恥ずかしいことわざわざ主張せずに勝手に行けよ、と誤解されてしまうのであった。
 しかも、慣用句などという言語修得の上では上級篇に入るようなものも背伸びして使いたがるのである。
 元来大袈裟なアメリカ人である。ちょっとがっかりしたくらいで、
「アー。もう眼の中が真っ黒です」
 いいや。君は紅毛碧眼だ。
「もうこうなったら、手も足も生えません」
 生えたら面白いけどな。
 よくよく考えれば、確かに我々日本人にとっても、たとえば英語でも前置詞なんかはかなりややこしく、こういう場合は in だったけ at だったけなどと悩むことも多いのであるから、仕方のないことかもしれない。
 それにしてもサムの言い間違いはどうしても何となくいやらしい意味になってしまいがちであり、そこのところが如何ともしがたい。
「オー。もうすぐ電車で発射します」
 それじゃまるっきり痴漢ではないか。ま、私の漢字の宛て方にも問題はあるが。
「今度、彼女を食事したいと思います」
 君は佐川君なのか。
 サムよ。君が日本通なのは構わない。納豆などという日本人でも嫌う人が多い食べものを何故か気に入っているのも別に構わない。納豆は好きか嫌いか、という話もよしとしよう。女子の人に対してふさわしからぬ話題でもなかろう。納豆に何を混ぜるか、という議論もいいだろう。葱だけじゃなく、おろした人参を入れるのは確かにおいしい。
 しかしだ。
「あなたは人参が入りますか」
 女子の人に、そういう質問はすべきではないのではなかろうか。
 全く。こんなことばかり書いていると私の品性までが疑われてしまうではないか。
 あ、もうとっくに疑われてるか。


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1998/07/02
文責:keith中村
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