第127回 漫画の人


 僕がすごいと感じるのは漫画の人である。漫画の人がどういった具合にすごいのか、例をあげて説明してみよう。
 まず、驚いた時にはどうか。
 僕なら驚くと、まず身体がびくっとなり、そして動悸が激しくなる。場合によっては多少目を見開くこともあるだろう。
 漫画の人は違う。
 漫画の人が驚くと、まず十中八九間違いなく目ん玉が飛び出る。もし、漫画の人が眼鏡をしていれば、とび出した目玉がレンズを、ぱりん、と突き破ってしまうのだ。そして、四肢を突っ張ってびりびりびりと痙攣する。場合によっては漫画の人の後ろの景色が原色にちかちかする。もっとも、最近それは少なくなっていると聞くが。
 撲られた場合にはどうだろう。
 程度の軽い殴打なら、僕は「痛いっ」と叫んで、撲られた場所をさするだろう。もっと強力な打撃を受けると、声もあげずに悶絶してしまうかもしれない。
 漫画の人は違うのだ。
 漫画の人は、そもそも拳で撲られるなどという軽い程度の被害は受けない。大抵は自分の身長ほどもある大きなハンマーで垂直に撲られるのだ。すると、どうなるか。漫画の人は、七〇パーセントの確率で「いあおう」と叫んで地面にめり込むのだ。残り三〇パーセントは、「むんぎゅう」と叫んでぺっちゃんこになってしまう。それでも漫画の人は死んだりしない。勇猛果敢にも朦朧とした頭でふらふらと起き上がるのだが、そのとき普通は「ぴよぴよぴよ」と言いながら天使だかひよこだか判らない不思議な小さな生き物が頭の周りを回転するのだ。
 とても可愛い女子の人を見るとどうなるか。
 僕なら、どきどきしながら、「うわ。うわ。たいへん美しい女子の人ではないか。うわ。どうしよう。いや、どうしようったって、どうしようもないのだが。うわ。うわ」などと心の中で独りごちるのが関の山である。
 漫画の人は違うのだ。そんなもんじゃない。
 まず、瞬間的に瞳孔が収縮して点目になる。そのあとすぐ瞳孔が開くのだが、その瞳孔は瞳孔ではなくなっている。ピンク色のハート型になっているのだ。そして、ぽわわあん、という音とともに漫画の人は、にかっと笑い顔になる。両手を左胸の前辺りで合わせて小刻みに振ったりする。もし、その女子の人がウィンクなんぞしようものなら、漫画の人は頭から始まって足先まで真っ赤になり、そばにある運河に飛び込んだりする。そしてその際、運河は、じう、などという音を立てて瞬時にその水分を蒸発させてしまうのだ。
 上記の例から容易に判明することは次の通りだ。
 僕はひどく地味である。
 それに引き換え、漫画の人はとても派手である。
 しかし、もっとすごいことがある。
 崖から転落したとしよう。僕なら一溜まりもなく死んでしまう。
 でも、漫画の人は違うのだ。
 そもそも漫画の人は、並々ならず崖から転落することが多い。悪戯な鼠を追いかけたり、生意気なミチハシリを追いかけたり、あるいは大きなブルドッグに追いかけられたりしては、どうしたことか、引き寄せられるようにすぐに崖に向かってしまう。そして勢い余って崖からとび出してしまうのだ。だが、すごいのはここからである。
 漫画の人は、崖からとび出してもすぐには落下しないのだ。大抵は三、四歩分くらい中空で走り続ける。距離にすると二、三メートル程か。で、その位置で足踏みをくり返すうち、「やや」という顔つきになって下を見る。時にはその後、我々の方を「おやあ」という不思議そうな顔つきで見たりする。その直後、漫画の人は「のおおぉぅ」というややリバーブのかかった叫び声とともに、ぴう、と落下してゆくのだ。
 しかもである。漫画の人が落下しているにも関らず、漫画の人の眼と眉だけは、慣性の法則を証明するかのようにしばらくその場に残り続けた後、ようやく落下運動を開始するのである。そして、最後には漫画の人が消え去った風景だけが残る。ややあって、どおん、という音とともに風景がぐらぐら揺れるのだ。
 漫画の人は他にも、池に飛び込んでから這いあがってくると必ず背中に魚を三匹入れている、とか、全速力で激突した壁にきっちり人型の穴を空けるとか、一攫千金を妄想するとすぐに顔がスロットマシーンになって耳のスロットルを引けば眼に「$」マークが揃うとか、その夢が破れると羽根がはえた「$」と書かれた袋を四つ、頭の辺りから逃がしてしまうとか、一口吸うだけで煙草を根元まで灰に変えるとか、僕がどれほど足掻いても絶対に実現不可能なことをやすやすとやってのけるのである。
 僕はつくづく思うのだ。漫画の人は偉い。漫画の人はすごい。
 漫画の人の前に、我々は無力である。漫画の人に比べたら僕などはほんとにつまらぬ存在なのである。
 自分が漫画の人だったらなあ、と考えるのである。
 僕が漫画の人だったら、君が悲しい気分のときに笑わせてあげることだってできた筈なのにね。  


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1998/06/29
文責:keith中村
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