第118回 カンバセーション・ピース


 登場人物紹介

  義兄  姉の夫。私との関係は良好である。
  実姉  もと馬鹿ポエト。困惑させる人。ちんとんしゃん。私との関係は良好ではない。
  鱶田  大学時代の後輩。ダメ人間。
  私   ダメ人間。好物はカレー。

 人間、長く生きていると、時としてあたかもニール・サイモンのコメディのようなシチュエーションに巻き込まれてしまうことだってあるものだ。ジャック・レモンのように状況に翻弄されることだって本当にあるものなのだ。
 しばらく前、義兄よりメールで「一度遊びに行っても良いか」と書いてきた。特に断る理由もないので承諾したのだが、では次の日曜日にということになった。本日がその「次の日曜日」であったのだが。
 さて、姉夫婦がやってきた。遊びにくる、というのは口実で、実は私のところに視察にきたのであった。
「へえ、結構小奇麗に片付いてるじゃないか」と義兄は部屋の中を見回す。当たり前だ。つまらぬことを我が両親に注進されても困ってしまう。そのあたり抜かりはない。昨日一日がかりで徹底的に掃除したのだ。
「おっ、これか。これか。こいつぁ凄いな」と一面の壁を完全に占拠しているコンピュータ群に早速眼を付ける。この人もかなりのメカ好きで、青春時代にはキース・エマーソンに憧れてシンセサイザーを蒐集していたという経歴を持っているので、こういったものに偏見がない。
「げっ。ちょっとちょっと。あんた、一体これは何なのよ」同じ対象物を見ているにも関らず全く異質な感想を洩らしたのは姉である。「こんなにコンピュータばっかりあって何に使うのよ」
 これはいちばん困る質問である。何に使っているというわけでもないのだ。「それは、その何だ。いろいろだよ。いろいろ、ぼちぼち使ってんだよ」我ながら、ちっとも答えになっていない。
「ほんっとにもう、この子はこんなにコンピュータばっかり集めて」
 テレビばっかり見て、とか、漫画ばっかり読んで、と母親に叱責された記憶を彷彿させる発言をする姉であった。それにしてもあとひと月で三十歳になる男をつかまえて「この子」は如何なものか。
「ところで、あんた、ホームページ開いてるんだってね」姉の眼がぎらり、と光る。「見せなさいよ」
「ああ、そうだ。僕も見たいなあ」と義兄も呑気な口調で言う。
 冗談ではない。何度か、この姉のことに触れた文章を書いている。それもかなりおちょくった文章である。見せられるわけがないではないか。おろおろ。
 などという焦り方はしなかった。ふふふ。こんなこともあろうかと、当たり障りのない回だけを抽出した特製フロッピーを作成しておいたのだよ。ああ、私は何て頭が良いのだ。姉を誹謗中傷している話はもちろん、家族に見られるとちょっとどうか、という回は抜きにして編集したスペシャル・エディションである。URLはばれていないので、そのフロッピーだけ見られる分にはまったく安全である。作るのに三時間もかかったんだぞ。
「ああ。それだけどね。テレホーダイの時間でもないし、今繋ぐと電話代なんかもあれだから、事前にフロッピーに落しておいたんだ」
 そういって、一枚のフロッピーを差し出した。「また、家に帰ってからじっくり見てよね」
「今見せなさいよっ」
 仕方がないから、ブラウザを起ち上げる。注意深くフロッピーからファイルを読み込ませる。
「こんなのなんだけど」
 画面をちらりと一瞥した姉は鋭い口調で言う。「字ばっかりじゃない」
 字ばっかりで悪かったね。嫌なら読むなよ。
「まあ、いいわ。後でじっくり読むから」
 そうですか。
 どんどん。どんどん。その時、ノックの音がした。はて、誰だ。
「ちわーっす、あれ、誰か来てるんすかー」
 鱶田という男であった。大学時代の後輩である。何でこいつが来るんだよ。
「ああ。姉夫婦が来てるんだよ」私は鱶田を睨みつけて言った。この野郎、余計なこといったら只じゃすまさんからな、という信号を眼で送る。「ええと、これは後輩の鱶田っす」姉夫婦に言う。
「あっ、これがあのお姉さんっすかー」此奴も私のページを読んでいるのであった。
 姉の眼がぎろり、と光る。「あの、ってどういうことよ」
「いやあ。わはははは。別にどういうことでもないよなあ。で、お前が来るなんて珍しいじゃないか」話を逸らす。
 こいつは神戸に住んでいるので、大阪の私のところにはひと月に一度ほどしか来ないのである。
「いや、それがねー。実は引越したっすよー」
「へ。引越したってどこに」
「ちょっと向こうにコンビニあるでしょ」
「うん」
「あれの向かいのマンションっす」
「げ。すぐそこじゃねえか。どうしてだよ」
「実はねー。また仕事辞めちゃいまいしてねー」
「え。またかよ」確かこれで四度目であった筈だ。
「で、再就職したんっすけど、その仕事場がこの近くなんで、引越してきたんすー」
「今度は何の仕事だ」
「テレビ局の下請けっすー。ADやるんっすよー」
 うわあ、胡散臭い、と思ってちらり、と姉夫婦を見ると、やはり胡散臭いものを見る目付きでこちらを窺っている。
「それにしても、よりによって何でここから眼と鼻の先に越すんだよ」
「いやー。偶然っすよー。不動産屋に頼んだんですけどね。僕も決めてから、ここに近いなあって気づいたっすー」
 そういうと鱶田はきょろきょろ部屋の中を見回す。「あれ。あれ。何かやけに綺麗にしてますねー。どうしたんっすかー」
「ば、馬鹿。いつもこんなもんじゃないか」
 姉が口を挟む。「いつもはこんなじゃないの」
「いや。そんなことは」という私を差し置いて鱶田が姉に答える。「いやー。無茶苦茶っすよー。足の踏み場もないくらい。あれれ。いっつもあそこに置いてある山ほどあったエロ本どこいったんっすかー」
「あわわわ」
「あっ。エロビデオもなくなってるっすねー」
「あわわわ」
「じゃ、取り敢えず挨拶に来ただけなんで、今日はこれにて帰るっすー」
 三十歳を目前に控えた今となって、私という人間はどうしてこんな目にあうのだろう。神様って意地悪。
 それにしても、鱶田。今度出会ったら死なす。 


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1998/06/15
文責:keith中村
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