第117回 そんなの


 ひと口にコンピュータに関る仕事といっても非常に多岐に亙っているわけで、私の場合管理者などといいながらも、かなりの部分をソフトハウスのサポート窓口じみた仕事が占めている。
 というのも私の勤める会社は百ほどの事業所を持っているのだが、WANというのかそれぞれの事業所の端末と本社のサーバーがネットワークで繋がっている。事業所においてさまざまなデータを端末に入力してもらうわけだが、この仕組みができてまだ一年余りにしかならぬので、何かとトラブルやら問い合わせが絶えぬのだ。
 ウィンドウズNT3.51の上で作り込みのシステムを動かしており、その各プログラムは必ず全画面表示される上に最大最小化ボタンもなく、サイズ変更も不可能に作ってある。要するにマルチウィンドウでは必要な窓が後ろに隠れてしまった場合、不慣れな人ならパニックをおこしかねない、という配慮による設計なのだがそれでもウィンドウOSであるから何かのはずみで必要な窓が裏にまわってしまうことは皆無ではない。あるいは不安定なNTのこと、プログラムが死んでしまって強制終了せねばならぬ場合だって少なくない。そうなると事業所の事務のおばさんなりお姉さんなりには対処不能であり、私の部署に電話で助けを求めてくることになる。
 ある事業所から障碍の連絡が入ったのだが、内容を聞いてみるとどうやら必要な窓が裏にまわり込んでしまっただけらしい。この場合、NT3.51ではコントロール・キーとエスケープ・キーを押してアプリケーションの切り替えウィンドウを表示させた上で切り替えればよいので、さっそくその指示を出すことにした。
「ええと。まずコントロール・キーを押してください」
「コント、はあ、なんですか、それ」
「キーボードのいちばん左下の隅っこにあるCtrlというキーです」
「ええと。ああ、あった。あった。はいはい。押しました」
「じゃ、次にそれを押したままでエスケープ・キー、左上の離れたところにあるEscという奴です、を押してください」
「ええと。あ、これね。ぽちっとな。押しました。あっ。なんか出てきました」
 今どき滅多に聞かない「ぽちっとな」などと言っていることからすると、どうやら私と同世代のようだ。
 切り替えウィンドウが表示されたようなので、目的のタスクを選択して切り替えるように指示を出した。
「ええと。できません。押しても何も変化しません」
「おかしいですね。こちらで確認してみます」
 リモートデスクトップというツールで相手の画面をこっちのコンピュータに表示させてみた。間違いなく切り替えウィンドウが表示されている。
「じゃ、こっちの操作で僕が押してみます」そういって、リモート操作でボタンを押した。本来、その操作で切り替えウィンドウが消え、選択した窓が表に出てくるはずなのだが、ボタンを押しても切り替えウィンドウが表示されたままで、タスクが切り替わらない。
「うーん。おかしい。こんな筈はないんですが」
 リモート環境であれこれ試してみたのだが、そのうち受話器の向こうから声がした。
「つー。痛いいたい。……あのう、いつまで押していればいいんですか」
「は」
「手が攣りそうです」
 事務のお姉さんは私が最初に指示してからずっとコントロールとエスケープを押し続けていたのであった。そりゃ、切り替わらない筈だ。不慣れな人は、馴れた人間の常識では考えられない行動をとるものである。
 大笑いしてそれを指摘すると、お姉さんはばつが悪そうな声で「それなら、そうと始めっから言ってくださいよ。ほんとにもう、せこびっち、せこびーっち」と言った。やはり私と同世代なのだろう。
 まあ、これなどは障碍とは言えぬものだが、実際にはデータの誤入力なども頻繁に発生する。極力操作間違いを少なくするよう不必要にデータは触れぬ仕様になっているのだが、だからこそひとたび誤操作をやってしまうとデータ修正は管理者にしかできなくなってしまうのだ。
 誤操作によってデータをおかしくしてしまった事務員さんの訴えは大きく二つに分類できる。自分は悪くない、機械のせいだ、というタイプと、消え入りそうな声で平謝りするタイプとである。当然、対応する我々からすれば後者の方が圧倒的に好印象を持てるのだが、中にはこんな人もいる。
「もしもし。情報システムです」
「あー。ごめんなさい。ごめんなさい。わたしったら、ほんとにもう。どうしましょう」
「もしもし。どうされたんですか」
「もう、どうもこうもありません。私の馬鹿。ばか馬鹿。ごめんなさい。ほんと、とんでもないことしちゃって」
「もしもし。だから、どうしたんですか」
「きゃあ。ごめんなさい。怒らないで」
 ちっとも要領を得ないので困ってしまうのであった。
 大抵はそう深刻な誤操作でもないので、こちらでちょこちょこ修正すれば済むのであるが、
「じゃ、五分くらいで修正終ってますから、それくらいの時刻で操作を再開してください」
 そう伝えると、大抵の人はかなり恐縮して「こちらでは、何をすればよいのでしょう」と訊いてくる。
 特にやってもらうことはないので、最初の頃はその通り「何もありません」と伝えていたのだが最近ではもっと潤いのある職場のほうがいいのではないかと思い、あれこれ指示を出す。
「そうですね。じゃ、処理が完了するまで踏み台昇降やっててください」
「じゃ、終るまで息を止めていてください」
「スプーンを曲げてください」
「ヨーヨーで犬の散歩を練習しててください」
「旅に出ててください」
「水を入れたペットボトルを準備してください」
 思い付いた出鱈目をいう訳である。
 中には真面目な人もいる。「じゃ、その間、アラーの神に祈りを捧げててくださいね」と言ったら、憤然とした口調で「異教の神は祈れません」と返されたことがあった。いったい何なのだ。
 とっても可愛いアニメ声の事務員さんもいる。いや、別にアニメ声が好きなわけではないのだが。ごにょごにょ。
「で、こっちではどうすればいいのですか」なんて訊ねてくるので、
「じゃ、折角だから『頑張ってくださいね。お願い』と言って応援してください」と言うとと、ひどく冷淡な声で
「いやです。そんなの」と返されてしまった。
 ううむ。そんなの、と来たか。


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1998/06/12
文責:keith中村
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