第111回 高校のダメ人間


 昔話をしよう。
 私は典型的な「二十歳過ぎれば只の人」というやつであり、じっさい大学には七年在籍したのち中退しているのだが、中学の頃はまだ「神童」寄りであったので、高校は学区内のトップ校という位置付けのところへ通うことになった。トップ校というと聞こえはいいが、田舎のことで学区内にはたった三つしか高校がなく、その三つのうちのトップ校であるから大したことはない。
 一九八四年といえば、ジョージ・オーウェルの作品の題名であり、また「これさえあれば一九八四年はオーウェルの作品のようにはなりません」というコマーシャルとともに鳴り物入りでマッキントッシュが発売された年である。その一九八四年の春、私は高校生となったのであった。
 私は高校でまったく勉強をしなかった。それが証拠に、入学早々行われたテストで学年三六〇人中九番であった私の成績は一学期の中間テストですでに三五〇番台にまで下落し、そして卒業までそれはほぼ変わらない状態であったのだ。
 では、勉強もせずに何をしていたのかというと、これは今から思えばダメ人間の典型であるのだが、小説やら映画やら漫画やら音楽やらの対抗芸術にうつつを抜かしていたのだ。中学校のころからそういったものに没頭はしており、しかし学年に百人足らずしかいない田舎の中学校ではそれらの話題を共有できる趣味を持っている人間はほとんどいなかったのだが、ここに至ってようやく同じ趣味嗜好を持つ人びとと邂逅できた私は今まで以上にそれらにのめり込んでいったのだ。
 高校に入ってさてクラブ活動を決めるということになった。別に必須ではなかったし、私も何をするという気もなかったのだが、何となく形だけでも入っておこうと思い、比較的何もしなくてよさそうなクラブをということで美術部に入ることにした。籍だけおいて幽霊部員を決め込もうとしたのだが、ここに入部してきたのが奇しくも揃いも揃って同じような嗜好の人間ばかりだったのである。例えば漫画の話をしていて、「高橋葉介」「ますむらひろし」「諸星大二郎」などという名前がまともに通じるのである。SFの話をしていて、「クラーク」「ハインライン」「ブラッドベリ」などという名前がまともに通じるのである。私は狂喜して昼休み放課後と部室に入り浸るようになった。美術部というクラブが以前からそういうところであったというわけではないようで先輩方は油絵やらリトグラフやらを熱心に作成しておるという正統派であったから、我々の代だけが何かの間違いだったようだ。
 ここで私はアニメというそれまで人並みにしか知らなかった世界にも踏込むことになる。気がつけば「透過光が」とか「押井が」とか「板野サーカス」とかいう専門用語を口にするようになっていた。今でも私はときおりアニメおたくだと誤解されて謂れのない差別を受けることがあるのだが、それらの素養はすべてこの時点で培ったものである。この際声を大にしてはっきり言っておきたい。私は決してアニメおたくではないだっちゃ。
 話は変わるが、私の通う高校には軽音楽部がなかった。代わりにギター部はあった。ギター部とはいい条ドラムやベースやキーボードもあった。それじゃ軽音楽部ではないのか、と思うのだが違うのだ。どう違うかというと、実は私の高校はエレキギターを弾くことが禁じられていたのである。理由は「不良化するから」。信じてもらえないかも知れぬが本当のことである。だが何故かエレキベースはいいということになっていた。それに、アコースティックギターにピックを付けてエフェクターに通すことも禁じられていなかった。何だか不思議な規則である。謎めいている。だから文化祭でのギター部の演奏は、ハウリング防止のガムテープをホールに貼り、ピックを付けたアコースティックギターでロックをやるという奇妙なものであった。謎めいている。
 私は所属していないにも関らず、このギター部にもちょくちょく出入りしていた。N君という級友がギター部にいたのだが、彼は凄かった。というのも弦が硬くて弦高が高く、しかもハイフレットにカッタウェイなどない普通のアコースティックギターで「ハイウェイ・スター」のソロを完璧に弾くのだ。後にも先にもこういう人間には出会ったことがない。個人的にはびっくり人間大賞をあげてもいいくらいである。どうしたことかN君は時代錯誤にもベンチャーズに心酔していた。彼のユニットは文化祭で「ダイヤモンド・ヘッド」「10番街の殺人」「ウォーク・ドント・ラン」そしてラストに「雨の御堂筋」をやった。
 私はひっくり返った。なにゆえ小糠雨降る御堂筋か。
 ところで、N君はやや内向的な気質であったのだが、ある日を境にぱったりと学校にこなくなってしまった。噂によると、登校拒否であるとのこと。二、三ヶ月もそれが続いたろうか。ある朝やってきた担任がとても言いにくそうな口調で我々にこう言った。
「実はN君ですが……」
 私はひやりとした。内向的な奴であったが、よもや登校拒否の果てに自殺でもしたんじゃなかろうな。
「ギター弾きになると言い残して学校を辞めていきました」
 へ。私は点目になった。「何だそれは」とクラス中がどよめいた。
 更に担任は続ける。
「人それぞれに、それぞれの生き方があります。みんなでN君の生き方を応援してやりましょう」
 最後にぽつりと付け足した。
「それが今日の宿題です」
 担任よ。それはちと悪乗りが過ぎるのではあるまいか。
 さて、N君にはそれきり会っておらぬ。どこでどうしているのだろう。「雨の御堂筋」はちょっとどうかしているぞ、と言い忘れたのが私の心残りである。


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1998/05/31
文責:keith中村
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