第107回 なつかしき未来


 未来、という言葉によて喚起される像は人によってまちまちであろう。私が未来と聞いて真っ先に思い浮かべるのはビルとビルの間にガラス管みたいなものがいくつも張り巡らされており、その中を車輪のない自動車みたいなものが、ひゅん、などという音とともに高速で移動しているところである。同年代の人にはやはり同じようなものを想像される方もいるのではあるまいか。これは我々が子供だったころの漫画や少年誌のグラビアなどによく登場したイメージである。
 未来という言葉から夢と希望がなくなったのはいつからだろうか、と私は思い悲しむ。おそらくは高度経済成長期の終焉とともに未来はユートピアから一転してディストピアに変わってしまったのだろう。
 私にとっては「未来」と「二十一世紀」はほとんど同義の言葉なのであるが、その二十一世紀もあと僅かでやってくる。
 ところで、子供の頃はノストラダムスの大予言なるものを信じていたのであるが、七月生まれの私は幼い頃に「世界は僕の三十一歳の誕生日あたりでなくなっちゃうんだ」と真剣に怯えていたものである。「僕の可愛いお嫁さんや可愛い子供たちも一緒に死んじゃうんだ」などとまだ見ぬ妻子の喪失を空想しては子供心に歎き悲しんだものであるが、何のことはない、当の人類滅亡の一年前になっても可愛いお嫁さんも可愛い子供もいないありさまである。どなたか女子の人は私のお嫁さんになってください。若くて可愛い人よろしくお願いします。履歴書に写真貼付の上、ご応募ください。委細面談。苦労はさせます。
 話が逸れたが、世界の破滅などは来らず、確実に二十一世紀はやってくるだろう。もっとも、世界の破滅の代わりに私の破産はかなり高い確率で訪れそうであるが。まあ、このままで行けば二十一世紀といえど現在とさしたる変りはない世界にはなりそうだ。私の頭の中にある、ビルの間のチューブを流線型の自動車がひゅん、という世界はまだ当分先なのかもしれない。
 それにしてもビルの間を流線型がひゅん、というのはよく判らないけれど何となく凄いことである。だから、私にとって未来というのは「よく判らないけれど何となく凄いもの」を表す言葉になってしまっている。
 私がまだとても幼かった頃、大阪は千里にて万国博覧会が開催された。世界の国からこんにちは、の万博である。ここでの目玉はご存じのようにアポロが運んできたという月の石であったのだが、幼児だった私はこれを見たときに思った。
「おお。未来の石だ」
 未来の石ではなく月の石なのだけれど、どういうつもりかはさっぱり判らぬのだが、とにかくそんな風に思ったのである。「よく判らないけど何となく凄いもの」を「未来」と形容する私の性格はすでにその頃には形成されていたのであろう。
「二十一世紀フォックス」という映画会社の名を初めて聞いたときにも「おお。未来の狐なのか」と思ったものだ。未来の狐とはどんなものなのかちっとも判らないのだが、多分前脚がサイボーグ化されていて歩くたびにしゃきんしゃきんしゃきんしゃきん、と音がするのである。こん、と鳴くと、こぉんこぉんこぉん、と勝手にエコーがかかるのである。よく判らないけれどそれは凄い。さすがは未来だけのことはある。と思ったがよく考えると「二十世紀フォックス」が正しい。梨みたいなものである。
 フライングVという名のエレキギターがある。胴がV字型の、矢のような形状をしておるのだが私はこれを「未来のギター」と呼んでいる。実はフライングVはむしろかつての時代の徒花であり、アナクロなギターに属するのであるが、私にとっては未来のギターなのであった。ヘッドから殺人光線がびこびこと発射されたとしても何の違和感もないだろう。
 私は未だに、とんがったもの、流線型のもの、ぴかぴか光るものをはじめ何やら凄いものを見ると、ついつい未来を感じてしまう。
 かつてパワーウィンドウ付きの車に初めて乗ったときにも、「うひゃあ。未来の車だ」と叫んで失笑を買ってしまった。
 二枚刃の髭剃りを初めて見たときにも、「これは未来の髭剃りだ」と茫然とした。未来の髭剃りというのも、ちょっとどうかしている。
 ビーフストロガノフという、そうではないかも知らぬが少なくとも私にとっては高級な料理を初めて食べたときにも「ああ。こ、これは未来の料理ではないか。むしゃむしゃ」と貪り喰った。何といっても名前がとても未来だ。ビーフストロガノフ。強そうだ。
 カードキーというのも未来である。以前社員旅行でグアム島に行ったときに、グアム・ヒルトンなるホテルにて各自カードキーをもらった。手渡されたプラスチック板が何であるか判らず隣りにいた同僚に「これは何だ」と訊くと「部屋の鍵だ」と言う。吃驚した私はカードキーを握りしめて「凄い。まるで未来の鍵じゃないか」と叫び周囲を爆笑させてしまった。かなり恥ずかしかった。しかも、このカードキーなるものは随時錠前のパターンを変えるのでチェックアウト後無効になるが故、返却せず持っていてもいい、という代物であった。皆が捨てる中で私だけ大事に懐にしまい込んだ。何といっても未来の鍵である。家宝にせねば。まるっきり田舎者である。
 最近アップルからiMacという新型マッキントッシュが発表された。アップルのサイトで写真を見た私はやはり叫んでしまった。
「どっひゃあ。未来のパソコンだ」
 写真を御覧になった方は同意いただけるのではないだろうか。もう、これを未来と言わずして何を未来と呼んだらいいのか、というくらい未来なのであった。
 さて、女子の人とお近づきになる度に私はこう思ってしまう。
「おお。未来の妻よ」
 惜しむらくは、その誰もかれもがことごとく未来の妻ではなかったことか。
 ああ。未来はまだ遠い。


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1998/05/22
文責:keith中村
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