第106回 貼り紙


 たいていのマンションには入り口の附近に掲示板があり、住民に宛てての連絡通知事項がここに貼り出される仕組みになっておる。私の住むマンションでもしばしば様々な連絡伝達事項が貼り紙されるのであるが、なぜか不思議な貼り紙も多い。屋上から牛乳を散布することを禁じるという旨の奇妙な貼り紙については以前に触れたのでお読みになった方もいらっしゃるだろう。
 「騒音のお願い」という貼り紙がなされていたことがあった。
 騒音のお願い。私は貼り紙の前でかなり悩んだものである。素直に解釈すれば「お願いですから騒音を出してください」という意味に取れる。しかし、そんな訳はない。内容を読むと、今度いついつに電気工事をするが、その時少々やかましくなるが堪えてくれ、というものであった。これで「騒音のお願い」はやはり妙である。では、どういった見出しにすれば適切なのだろう。「騒音のお詫び」では、既にやかましくしてしまったことを事後に詫びているような印象になる。「騒音の事前承諾」では何となく偉そうである。あれこれ考えたが適切な言い回しが思い付かない。そのうち、何で私がそんなことを考えなきゃならんのだ、と気づいたのでその場から立ち去った。多分、管理人も適切な語句を考えつかなかったので「お願い」などという言葉でお茶を濁したのであろう。
 翌日、その貼り紙を見ると、何やら鉛筆で書き添えてあった。
「この表現はおかしいんじゃないか」
 やはり疑問を抱いた住人のひとりによるものであろう。
 それからしばらくは貼り紙を見るたびに「私もそう思う」とか「そうだそうだ」とかいう落書きが増えていた。その中でひときわ目を引いたのが以下の落書きであった。
「技術的に検討を加えた結果、この表現は不適切であると決定する」
 よく分からないがものすごいことだ。技術的に検討を加えたのだそうだ。いったい、どうしたのだろう。オシロスコープとかそういうあれで計測したのだろうか。しかし、何を、だ。そして「不適切であると決定する」である。この揺るぎない自信はどこから来るのだろう。
 またしばらくして貼り紙を見ると、その続きにこうあった。
「ごめんなさい。管理人」
 そりゃ、そうだ。ここまで強く言われるともう謝る他はないだろう。もし私が「技術的に検討を加えた結果、あなたは不適切であると決定します」などと言われた日にゃ、「私が悪うございました」と泣き出してしまいそうである。
 それにしても不思議な連帯感を感じる出来事であった。
 ところが何箇月かして、今度は以下のような貼り紙があった。
「廊下清掃のお願い」
 私は住人に対して廊下掃除を強要する告知かと吃驚したのだが、そうではなくて、「いついつに早朝から廊下のワックス掛けをするので、うるさくなるが了承してくれ」という旨であった。どうやらこの管理人に学習機能はないようである。
 最近ではこんな貼り紙もあった。
「迷いイグアナを探してください」
 何ということだ。イグアナである。まあ、犬猫は飼育が禁止されておるのだが、だからといって何もよりによってイグアナに走ることはないだろう。せめて小鳥か何かにして欲しい。
「某月某日、飼っていたイグアナがいなくなりました。名前はイグちゃんです。お心当たりの方は○○号室迄お知らせください。電話は○○」
 そして、写真が添えられていた。
 名前はイグちゃんです、と言われても困ってしまう。「イグちゃんや、イグちゃん」と呼びかけると尻尾を振るとでもいうのか。そこに名前を記載することにどんな意味があるというのか。写真を添えるまでもなく、イグアナなんてものはだいたいその何だ、決まった形状を所有しておる生物ではないのか。そもそも、そんなものがマンションの中で迷っているというのであれば落ちついて眠れぬではないか。
 それにしても。
 イグアナだからイグちゃん。
 もうちょっと捻った名前を付けようという意思はなかったのか、見も知らぬ住人よ。


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1998/05/19
文責:keith中村
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