第103回 文學さん


 ジャーゴンというのがある。特定の分野でのみ用いられる用語のことで、いわゆる「専門用語」に近いものだが、専門用語よりはやや俗語的隠語的なものをそう呼ぶようでむしろ業界用語とでもいうべきものであろう。
 コンピュータの世界では譬えば「あいつはunixウィザードだ」「彼はunixグルだ」などという言い方があり、ウィザードは大昔からコンピュータとは切っても切れない縁のゲームから出てきた言葉、グルはこれもコンピュータとは(というかBSDやFSF、GNUの思想的背景とは、であるが)切っても切れないかつてのヒッピームーブメントで流行していた東洋趣味が発祥の言葉であろうが、最近ではウィザードはマイクロソフトの各種製品に搭載されている、メッセージに従っていけば一連の作業ができてしまうという「何々ウィザード」で一般化し、グルはもちろんオウム事件で一躍有名になったのはご承知の通りである。
 コンピュータがらみのジャーゴンで最近よく目につくのが「刺さる」という表現である。これは、フリーズやハングとよく似た意味の言葉であるが、ネットワーク上のホストマシンが落ちてしまうとそこのディレクトリを参照していたクライアントの処理が行ったきりになってしまう現象を言い、ホストを見に行った処理ががっちり刺さって抜けなくなっているイメージが鮮やかに喚起されるので気に入っている。ことに大阪弁で
「あかん。刺さってもた。抜けへん」
というと非常にしっくりくる言葉である。
 他にも「データを喰わせる」とか「吸い出す」とか「吐く」とか、いずれも一般の人が聞けば「それは何なのだ」というちょっと凄い言葉であるのがジャーゴンの特徴であろう。
 こういった言葉を専門外の人間が聞きかじりで背伸びして使うのはなかなか見苦しいものがあり、譬えば寿司屋にていちいち符牒を使う通ぶった客はよくおるので、そういった輩に辟易したことがある人も多いだろう。
 などと偉そうに書いているが私だって自主製作映画を撮っていた学生の頃は「ああ、ちょっとそこの机ワラっておいて」とか「ちょっと雪洲しようか」などと半可通なことを言っていた。思い出しても恥ずかしい。すみません。
 ところで今日、梅田にある大きな書店に行っておった。書評で見掛けた本を買いに行ったのだが、見当たらない。で、店員をつかまえて訊ねてみた。店員は胸に「研修中」という札を付けた若い女子の人であったのだが、研修中なので自分では判らなかったのであろう、文芸書コーナーの方を向いて他の店員に呼び掛けた。
「ちょっと、すみませーん。文學さん。文學さあん」
 ものすごいことになっている。
 その書店では「文芸書コーナー担当の店員」のことをどうやら「文學さん」と言っているようなのだ。吃驚した。
 口を開きっぱなしで愕然としていると、私の前につかつかとひとりの店員がやってきた。
「はい。何でございませう」
 ははあ、この人が「文學さん」なのだな、としげしげと眺めた。銀縁の眼鏡を掛けており、ひょろりと背が高い。やや神経質そうな如何にも文学青年といった風貌であり、確かに「文學さん」にぴったりである。ああ、ぴったり、と考えながら私は所望する書籍の名を言った。
「ええと。さうですねえ」と彼は前髪をさっと掻き上げ、「少々お待ちください」
 あちらこちらの棚を渡り歩いたり台帳を眺めたりしてから再び私の前にやってきて、「お客様、申しわけございません。どうやら、その本は品切れとなつてをります。ご注文いただいて取り寄せるやうになるのですが、それでよろしうございますか」と言った。
 私は「さうですか。それなら結構。他を当たつてみます」と連られて旧仮名になってしまった。
 それにしても文芸書担当を「文學さん」と呼び慣わすその書店もどうかとは思うが、担当者がまさしく文學さんにぴったりの人間であったのも如何なものか。もしや、この書店では入社時に風貌から担当部署を決定する仕組みになっておるのではあるまいか。
 ということはやはり絵本コーナー担当者などはひらひらのフリルがいっぱいついたピンク色の衣装を着用して三つ編みなどしている女子の人であり、通称は「メルヘンちゃん」なのであろうか。
「はあい。こんにちは。わたし、メルヘンちゃんのエミリー。よろしくね」
「はっ。こりゃどうも。キースと申します」
「で、キースくんは今日はどんなご本を探しているのかなあ」
「はっ。『モチモチの木』というのですがっ」
「うふふっ。じゃ、ここでお利口さんにしてちょっと待っててね」
「はっ。ひ、ひとつよろしくっ」
「ぐす。ぐす」
「あ、あの。どうかなさいましたか」
「あのね。エミリー、一生懸命に探したんだけど、キースくんの言ってる本がないの。ぐす。ぐす」
「いや、あのね。何も泣かなくても」
「ええん。エミリー頑張ったのにい」
「いいっすよ。他を探しますから」
「いやいや。エミリー、そんなの嫌。ぐすぐす。じゃ、こうしましょう。エミリーがあ、自分で考えたお話をキースくんにしてあげるっ」
「け、結構です」
「ぐすぐす。聞きたくないの。キースくん、エミリーのこと嫌いなんだ」
「いや、その。好きとか嫌いとかじゃなく」
「ぐす。ぐす。じゃ、聞いて。あのねえ、タイトルは『エミリーとテディベアの楽しいピクニック』っていうの。ある日エミリーは仲良しテディベアのファーファと一緒に――」
 想像するとかなり恐ろしい。
 或いはもっと担当が細分化されておったりしたらミステリーの担当者は「探偵さん」だったりするのだろうか。
「あの、ちょっとすみませんが」
「実際、あの作家にはミステリーは向いてないよ。SFにでも転向しちまうべきだろうね」
「は。何ですか」
「いわなくてもいい。君の考えてることくらい判る。あの作品のことだろう」
「いったい何なのですか」
「君がこのコーナーに入ってきたとき、あの棚の角にちょっとぶつかったろう。そのとき君は棚の端っこに並んでいる本にちらりと眼をやったね。そう。あの作家の本だ。で、それから君は少し天を仰ぎ見た。だから、僕には君があの作家はどうしてあんなに詰らない本ばかり書くのだろうかと心の中で考えたことがわかったのさ。それから君はその隣りに並んでいる作家の本を見てから少しばかり頷いたね。君が、その作家のファンであることくらいそれで丸判りだよ」
「あの。まだ何も言ってないんだけど」
「それから君は思い出したのさ、今朝の新聞の書評にそのお気に入りの作家の新刊があったことを。で、その新刊のありかを訊ねようとぼくを呼びとめた、ということだろう」
「いや、そうじゃなくて」
「隠さなくてもいいよ。このデュポンにはそれくらい手に取るように判る。君とぼくとの仲だからね」
「今会ったばかりじゃないですか」
「はっはっはっ。君は昔っから冗談が好きだね。さて、それじゃそろそろ君の探している本の名前を言おうか。ずばり、『D坂の首縊りの死角殺人事件』だね」
「いや、ぼくはトイレがどこか訊きたかっただけなんだけど……」
 なかなか困ってしまいそうである。
 宗教書関連担当は「教祖さま」で、哲学書は「実存くん」で、歴史書は「ホメロスさん」だったりするのだろう。そんな書店は嫌だ。
 それなら漫画コーナー担当はやっぱりマンガさんであろうな。ゾウさん、パクさん、ゲタさんと手分けしてあれこれ探してくれたりして。
 はっ。この落ちは以前にも使ったような気がする。


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1998/05/11
文責:keith中村
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