第101回 101回目のウロボロス


 などという題名を思い付いたのだが、申し訳ないことには内容にはあまり関りがない。
 歳を取ると涙脆くなるというが、あれは本当である。最近どうもつまらないことで涙ぐんでしまうのである。以前はそれほど涙脆いということはなかった。階段のあがり際に弁慶の泣き所を強打したときなどは、人並みに「うおおい。うおおい」と泣いておった。もっとも弁慶の泣き所の場合、強く撲ち過ぎたときには「うは。うは。うは。うは」などという難解な笑い声をあげてのたうちまわることも多いものではあるが。
 映画や小説などに感動して涙が出るということは無論あるわけだが、以前なら人前では抑制が効いていた。「ここで泣いてはいかん」「ここで笑ってはいかん」という意識をぐっと強く持てば、情動を抑止することができたのである。
 ところが最近は、笑いに関しては以前にも書いたように抑えが効かないし、涙についても然りである。
 私のモットーは、「笑わせることは好きだが、笑われることは大嫌い。笑うことは好きだが、笑わされることは大嫌い」で、要は映画や小説などにての「さあ、笑え」とか「さあ、泣け」と言わんばかりの押しつけがましい演出が鼻についてしまい、それに素直に従えないという臍曲りなのである。
 自分の意思でなら構わないのだ。泣くという情動には確かにカタルシスがあり、私とて自発的に泣く分には構わないのである。
 私がついつい泣いてしまうものに、新美南吉の童話がある。新美南吉の作品は必ず最後には泣かずにいられないようになっている。
 譬えば「手袋を買ひに」の

 お母さん狐は、「まあ!」とあきれましたが、「ほんたうに人間はいいものかしら。ほんたうに人間はいいものかしら。」とつぶやきました。

 とか、「權狐」の

 「權、お前だつたのか…、いつも栗をくれたのは―。」

などは、いかん、書き写してて涙が出てきた。おおい、おいおい。ぐすぐす。
 あるいは筒井康隆氏の抒情的な文章に私は脆くて、いくつか挙げてみるが「座敷ぼっこ」「ベムたちの消えた夜」「風」「かくれんぼをした夜」「禽獣」は読む度においおい泣いてしまうものなのである。
 映画では「ディア・ハンター」「アパートの鍵貸します」あたりがいちばん危ない。著しく涙腺を刺戟するゆえ迂闊に人前で見るわけにはいかぬのである。
 それでも、これらの作品に泣くのは自主的にそうするのでよいのだ。
 ところが、である。
 先日、久し振りにテレビを観ておったのだが、明石海峡大橋開通記念だとかで、古今の橋を紹介する旨の番組をやっておった。番組の最後に、アンデスだかどこかの部族の橋というのを紹介していたのだが、これが橋と言っても何百メートルもの峻険な谷間にただワイヤーを架けてあるだけで、そこを滑車にて渡るというものであり、山向こうの学校に通うために生まれてはじめてその橋を渡る少年というのをとりあげておったのだ。落ちればひと溜まりもないという溪谷に架かるワイヤーをまだ小さな男の子が渡るところなのである。まさに渡らんとするその瞬間、少年が十字を切ったのだが、それを見た瞬間に滂沱の涙が堰を切った。十字を切る仕草に猛烈に心を打たれてしまったのであった。何ということだ。
 まだあるぞ。
 宝塚に「手塚治虫記念館」というのがあり、先日訪れてみた。中にミニシアターがあり、ここで十五分くらいの手塚プロ製作のアニメーションを見せてくれる。私は手塚治虫作品を読んで育ったわけで、氏の作品はもちろん大好きなのであるが、この十五分のアニメには辟易した。氏の死後に作られたものなのだが、「手塚は凄かったんですよ」という所謂プロパガンダ映画であり、しかも安手のヒューマニズムものであった。少年時代の手塚が漫画を書いておるのだが、ふとしたことで軍人にそのノートを取り上げられて破られてしまうという経緯が最初にあり、映画の終わり近くで再びノートを取り上げた軍人が今度はそれに感動し、破らずに返してくれる。その時に軍人が言う。「今はこんな時代だが、いつかきっと平和な時がやってくる。これはその時まで大事に仕舞っておくがよい」
 もう、余りにご都合主義で安っぽくて正直に言って虫酸が走るほどの出来なのであるが、この科白に両の眼から涙が零れ落ちた。これには自分でも吃驚した。
 うわ。不覚だ。やべえ。何てこった。と思う間に映画が終了し、周囲が明るくなった。これはまずいぞお、と思った刹那隣りの席にいた家族連れのうちの女の子が私を指さして言った。
「あっ。このお兄ちゃん、泣いてるう」
 私は全力疾走で逃げた。まったく、何ということだ。まあ、「おじちゃん」ではなく「お兄ちゃん」だったから許ーす。
 それにしても私が最も嫌悪する種類のものにまで泣かされてしまうというのは、どういうことか。これが歳を取ったということなのだろうな、やはり。
 おそらく今の私なら「男はつらいよ」にすら泣いてしまうのではあるまいか。文字通り「松竹系」であり、私が蛇蝎の如く嫌うものであるのに。「おいちゃん。今けえったよ」の渥美清とか、「んんん。お兄さん、今日という今日は言わせて貰いますよ」の前田吟(実名)ごときに泣かされてしまうのであろうな。
 これではまるっきり、「ひっひっひっ。どうしたのじゃ。身体は正直なものよ喃。ひっひっひっ。厭よ厭よと言いながら、ほれ、ここはこんなにびっしょり濡れておるではないか」ではありませぬか。
 あれえ。ご無体な。くるくるー。


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1998/05/05
文責:keith中村
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